『起きた出来事は全て正しい?』『徳を積む生き方はこれからの時代に必要?』
最近、似たご質問をよくいただくので、久しぶりにQ&Aを載せます♬
以下、北道からの回答です▼
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私の大事にしている2つの宇宙の法則は、「内側で意識していることが外側に現れる」「自分が出したエネルギーが自分に返ってくる(蒔いた種を刈り取る=因果応報)」です。
これを大前提として、起きたことは因果応報として全て正しいと言っています。
「起きたことは全て正しい」は、全てが自分が蒔いた種(出したエネルギー=行い)の結果であり、全てが「必然」ということです。
蒔いた種を刈り取るのが宇宙の法則だから、今の「現在」は、過去や過去世で蒔いた種(行い)の「結果」です。
どんな良い現状も過去や過去世の蒔いた種の結果、どんな良くない現状も過去や過去世の蒔いた種の結果、であるならば、受け取るしかありません。
現在の自分自身や自分の現状を創ったのは、過去や過去世の自分の行いです。
光の種は善徳、黒い種は悪徳になります。
今生で幸せな人がいたら、過去や過去世でいっぱい徳を積んだ(光の種をいっぱい蒔いた)のでしょう。
今苦しい人は、過去や過去世で黒い種をいっぱい蒔いたのかも知れませんし、他人の黒い種を背負っているのかも知れません。
どれだけ背負うかも自分の魂が決めていますので、全ての人生はその人が全て決めています。
ただ、今苦しい人も、今からいっぱい光の種を蒔けば、それは未来や来世に良い人生として必ず自分に返ってきます。
それが徳を積むということであり、因果応報ということです。
徳を積むということは、光を出すということでもあり、愛や感謝、喜びや平和を大切に生きることになります。
魂と共に生きることは、魂の喜びを大切にすることであり、全体を大切にすることでもあります。
その光は自分だけの喜びのみならず、世界全体に拡がっていくでしょう。よりたくさんの徳を積むことになります。ですので、魂の喜びは徳を積むことになります。
大切なことは、徳を積むために、自分の魂が喜ばないことをする必要はない、ということです。徳を積むのに自己犠牲は必要ありません。ここはとても大切なところです。
今までの世の教えには、エゴ(我欲)を捨てて世のために徳を積むことを説くものが多くあります。
私(アイ・アム)は、エゴを抑え込むことも、否定することも、 コントロールすることも求めません。
魂を大切にしていれば、いずれ魂の喜びにエゴがサレンダーして、協力(統合)するように自ずとなります。
徳を積むことは光の種を蒔くことですが、自分の魂が喜ばない行いは、光の種を蒔いていることに繋がりません。結果として徳を積む行いになりにくいのです。
自己犠牲は自分の光を下げ、集合意識を下げます。
魂の喜びは自分の光を上げ、集合意識を上げます。
後者が徳を積む行いです。
(大原則として、魂は他者の魂を大切にします。他者の光を下げることを望みません)
まとめますと、
・魂の喜び=光の種を蒔く=徳を積む
・自分の魂の喜び→全体の魂の喜びにつながる=徳を積む
・蒔いた種を刈るのが宇宙の法則(因果応報)
・今の自分の状況は、過去や過去世の蒔いた種の結果。なので因果応報という意味では全ての出来事が正しい
・今がどんな状況でも、今からいっぱい光の種を蒔けば(徳を積めば)、宇宙の法則に従い、いずれ自分に善き事として返ってくる
・徳を積むのに、魂が喜ばないことをする必要はなく、どんな時も魂を大切に、魂の喜びを中心に生きていけば、自然と徳を積むことになり、人生も良くなる
こんな感じです。
北道 邦彦
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